息子が小学校を卒業しました。
先週、息子が無事に小学校を卒業しました。もちろん嬉しいことですが、「もう小さかった頃の彼の面影はなくなっていく一方なのだろうなぁ」と思うと、寂しさもありますね。
せっかくの機会なので、息子の存在によって僕の心の変化した部分のことを書いてみます。
子供や妻に与えてもらったものは沢山あるのですが、最近特に感じているのは、彼らがいてくれたからこそ自分は以前よりも人生にまっすぐ向き合えるようになったなということです。
これはあまり大きな声では言えないことなのですが……。妻と結婚することになった時、そして子供が生まれた時、僕の中には「これでもう自らの手で死ぬことができなくなったな」という思いが少なからずありました。それまでの僕の中には、「まあ、生きるのが本当に嫌になったら、いつでも死ねばいいさ」といった思いがあって、それをお守りにしながら生きているところがあったのです。でも、妻や子ができてからこの部分が大きく変わりました。僕が生まれてきたこと自体は、自分で選んだことではないだろうと思っています。しかし一方で、結婚したり子を持つことは自分で選んだことです。自分で選んだのだから、その選択から逃げてはならない。彼らに対する責任を負わねばならない。そんな形で、僕の中には生きることへの責任感が生まれました。「自分はこれからも生き続けるのか。それともどこかの段階で死ぬのか」という思いから、「生きていくしかないとして、ではどのように生きていくのか」というふうに自身への問いかけがシフトした。そのおかげで、以前よりも生きることが少し楽になったような気がしています。
(「残念だけど、もうこんな自分なりに生きていくしかないんだな」と諦めがつくと、心が少し楽になる。そういうことは、案外多くの人に当てはまるのかもしれないな、なんてことも思っています)
息子の人生は彼のものですし、彼と僕で生き方も違うのでしょうが、これからも彼と仲良くしていけると良いなと思っています。彼とお酒を飲める日を楽しみにしつつ、これからもボチボチ生きていくこととします。
せっかくの機会なので、息子の存在によって僕の心の変化した部分のことを書いてみます。
子供や妻に与えてもらったものは沢山あるのですが、最近特に感じているのは、彼らがいてくれたからこそ自分は以前よりも人生にまっすぐ向き合えるようになったなということです。
これはあまり大きな声では言えないことなのですが……。妻と結婚することになった時、そして子供が生まれた時、僕の中には「これでもう自らの手で死ぬことができなくなったな」という思いが少なからずありました。それまでの僕の中には、「まあ、生きるのが本当に嫌になったら、いつでも死ねばいいさ」といった思いがあって、それをお守りにしながら生きているところがあったのです。でも、妻や子ができてからこの部分が大きく変わりました。僕が生まれてきたこと自体は、自分で選んだことではないだろうと思っています。しかし一方で、結婚したり子を持つことは自分で選んだことです。自分で選んだのだから、その選択から逃げてはならない。彼らに対する責任を負わねばならない。そんな形で、僕の中には生きることへの責任感が生まれました。「自分はこれからも生き続けるのか。それともどこかの段階で死ぬのか」という思いから、「生きていくしかないとして、ではどのように生きていくのか」というふうに自身への問いかけがシフトした。そのおかげで、以前よりも生きることが少し楽になったような気がしています。
(「残念だけど、もうこんな自分なりに生きていくしかないんだな」と諦めがつくと、心が少し楽になる。そういうことは、案外多くの人に当てはまるのかもしれないな、なんてことも思っています)
息子の人生は彼のものですし、彼と僕で生き方も違うのでしょうが、これからも彼と仲良くしていけると良いなと思っています。彼とお酒を飲める日を楽しみにしつつ、これからもボチボチ生きていくこととします。
この記事へのコメント
私も死を見つめていた人間でありましたので、この記事は感慨深いものがありました。これからもお互いぼちぼち生きて参りましょう。
これからも、健やかな成長を祈っています。
ご卒業、おめでとうございます。
いつもありがとうございます!
息子の成長は長かったような気もするし短かった気もするといった、不思議な感覚があります。はい、お互いにボチボチやってまいりましょう。
この度はありがとうございます!
無事に成長していけるよう、自分にできるサポートを続けていきたいと思います。
お祝いのお言葉、ありがとうございます!
豪腕さんも、お子様がご卒業でしたよね。おめでとうございます。
豪腕さんのお子様も健やかに成長されますよう、お祈りしております。