「スタンフォード大学 いのちと死の授業」を読了しました。

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スティーヴン・マーフィ重松さん著の「スタンフォード大学 いのちと死の授業」を読了しました。
自分がまさに今興味を持っているテーマのことが数多く書かれていて、とても濃密な読書体験ができました。2024年に読んだ本の中では、1番心に響いた本だと思います。

まずは、本書の中で個人的に印象に残ったところをまとめてみます。

【死を意識すれば、生はかけがえのないものになる】
・私たちは、死を意識することで、生のありがたさを知ることができ、「今ここにいる」ことがかけがえのないものとなる。つまり、マインドフルになることができる。
・死を意識すれば、自分が人生において本当に大切にしたいことに気が付ける。大切なことに集中して日々を送ることが、死ぬときに後悔しないことにつながる。
・なお、自分のやりたいことは、「人生から自分は何を求められているのか」というフランクル的な思考の転換をすることでみつけることができる。
・「今ここにいる」を大事にするとは、計画を立てないという意味ではない。未来の計画を立てることにそそぐエネルギーを少量におさえることを学ぶことである。また、計画ができたら、それへの執着を手放すことが大切。

【より良い人生を送るために】
・公平でも、常に善良なわけでもないのが人生である。そんな人生を良く生きる鍵は、変化と受容のバランスにある。平穏の祈りがまさにそう。こうしたバランスについて考え続けることで、良い人生が送れる。例えば、戦うべきor受け入れるべきかをその都度考える、など。
・「変えられないものはあるがままで受け入れる」という姿勢を持つことで、逆説的に、前へ進むための活力を得ることができる。これは、森田療法や内観、カール・ロジャーズのクライエント中心療法でも重要視されている。あるがままを自分が受け入れること、もしくは、あるがままを誰かに受け入れられていることで、変わっていくことができる。
・なお、「今よりも変化しなければ!」という意識が強すぎる時にまずいのは、「自分には問題がある。治さなければならない欠点がある」と考えてしまうことである。
・「そのままの君がいい」+「でも、さらに良くなると信じている」というスタンスが良いのだろう。
・「人間は不完全なものである」。その事実をそのまま受け入れて、ベストを尽くしていくことが大切。
・人生の意義は人それぞれ。そのうちの1つとして、「誰かのため、何かのために行動すること」も候補になるだろう。

【傷つき失いながら、それでも生きていくために】
・大切な誰か、何かを失った後。過去のようにあってほしいという願いは、どこかで手放さなければならない。それはもうないのだから。
・「あるがまま」という意識で、悲しい体験があれば悲しみもそのまま味わう。その感情をしっかりと経験することで、結果として、その後でその感情を切り離すことができる。
・傷ついた体験をした後、心は元通りにはならない。しかし、金継ぎがそうであるように、傷ついた経験を経て自分を立て直していくと、以前よりも豊かな自分になることができる。

さて、以下はそれを受けて自分なりに感じたこと、考えたことになります。

【仕事において自分が悩んでいる勘所についての議論が書かれていて、勉強になった】
僕は仕事上、色々な人の人生相談に乗ることがありますのですが、どう答えるべきか悩む類の質問がありました。それは例えば以下のようなものです。
「今の仕事がとてもつらいが、もう少し続けるべきか、やめるべきか」
「家族として、どう関わっていいか悩む。あまりにも早く諦めてしまっているようにみえるが、もっと頑張れと背中を押してはダメなのだろうか」
これらはつまり、誰かに対して、もう頑張らなくて良いというべきか、もう少し頑張ってみようというべきか、という問題です。
僕としては、どうみてもその人の心の元気がなくなっているようであれば、「無理はしない方がいいですよ」と言います。しかしこの時も、「本当にそう言ってしまってもいいのだろうか?」ということは常に悩みます。なぜなら、相談をされる人の中には、「病人には優しくしなさい」という言葉を盾に、自分の事ばかりを考えてずっと周囲に特別配慮を求めたり、自分のすべきことから逃げてわがままを言い続ける人がいるのも事実で、自分の対応によってそういう問題を強めてしまうのではないかと不安になるからです。
そういう人に対しては、
「もっと自分の課題と向き合うべきではないのか」
「自分の人生なのだから、あなたも自身の責任を背負う必要があるのではないか」
「つらいこともあるのが人生。全くつらいことがない場所はないのだから、そこで生きていくたくましさも必要なのではないか」
といった言葉を言いたくなってしまうこともあります。
「こんな風に思ってしまう自分は少数派なのだろうか?」
「無理をするな、ともっと気軽に言うべきなのだろうか?」
その点をずっと悩んでいたわけです。
そんな時に本書を読むことができて良かったです。本書ではまさにこうしたジレンマについての議論が書かれていて、「やっぱりここは悩ましいよね」と自分の葛藤を支持してもらえた気がしました。なお、筆者のスティーヴン・マーフィ重松さんは、「ありのままの自分」を支持してもらえばエネルギーがわいてくることを強く信じておられて、そのことが印象的でした。僕としては、この部分はやはりケースバイケースであり、毎回状況をよく見て悩み続けるべきなのだとは思いました。ただそれに加えて、その人のありのままを受け入れ、本人の力を信じて待ち続けることをなるべく大切にしたいとも思いました。本書にある、「そのままの君がいい」+「でも、さらに良くなると信じている」というスタンスは特にビビッときたものの1つであり、まずはこうしたスタンスで他者と接することを心がけたいと思いました。

【自分の人生に対する姿勢について考えさせられた】
日本で以前から美徳とされてきた考え方として、「現状に満足せず、自分に厳しく接しなさい」「今は苦しくても、自らの限界を超えるために頑張りなさい」といった姿勢があると思います。創作においても、「高い壁を乗り越えていけ!」という姿勢が賞賛されるストーリーがよくありますよね。少年漫画などでもなじみ深いものであり、日本人にとっては深く根付いた考え方ではないかなと思います。
こういう考え方にこそ支えられて頑張れる人もいるのは事実だと思っていて、「絶対に間違っている!」と言えるものではないと思っています。
ただ、自分に厳しい考え方だけではどうしても無理が来てしまう時があるのも事実です。

本書で大切だと書かれている姿勢は、それとは大きく違うものでした。本書では、「まずは、今の自分のあるがままを受け入れる。その上で、自分なりのベストを尽くすことに集中する」というスタンスが終始勧められていました。これはすでに色々なところで大切だと言われている考え方ですが、改めて、自分にもよくフィットしているものだと感じました。
なお、本書では、「あるがままを受け入れる、という姿勢は受け身すぎると感じる人もいる」と書かれていて、僕もどこかでそういう心配をしているように思います。ただ、今の自分を受け入れるという考えは責任ある行為であり、そうすることでエネルギーがわいてくる、という考え方は確かにそうかもしれないとも思いました。
「人間は不完全な存在である」という言葉は全くその通りだと思いますし、普段の生活において自分は忘れがちであるなとも思いました。また、「自分の弱いところを開示すべき」という考え方は、自分自身がもっと実践していけばより息がしやすくなるかもしれないとも思いました。

【自分は「物事を変えようとする行動」が足りない】
僕が大切にしている考え方として、「他人は変えられない。だから、自分が積極的に変わっていこう」というものがあります。ただ、本書を読んであれこれ考えているうちに、「自分の場合、『他人は変えられないから』と諦めるのが早すぎるんじゃないだろうか」とも思いました。
本書では他人に感謝する重要性が書いてありますが、この部分は多分得意です(笑) しかし一方で、盲目的に「感謝しなければ!」と考えるのも危ういのかなと考えました。他者に対して「そこは直すべきではないか」という課題があると感じることは誰でもあるのですが、僕はそんな時も、「まあ、ありがたいところもあるからね」と言ってすぐに目をつぶってしまうところがあります。結果、状況を変える力がなかなか身につかないところがあるように思いました。
本書では「葉隠」から以下の文章が抜粋されていました。
「人に意見を述べ、その欠点を正すことは、大切なことである。それは思いやりがあり、奉公の際には第1に優先される」
この言葉を胸に刻んで、「変えられそうなところには、もっと勇気をもって働きかけてみよう」、「他人に対しても、すぐに諦めるのではなく、まずは自分なりに働きかけてみよう」と思いました。


最後に、「以前の自分だったら、今ほどこの本が心に響かなかったかもしれない」ということについて書きます。
本書の内容とはあまり関係がないのですが、自分にとっては大切な気づきだと思い、記載することにしました。
ややドロドロした内容が含まれているので、ご注意ください。

今の僕は、「生まれた以上、生きていくしかないのだ」と考えています。ただ、以前はそう思えませんでした。
特に10代の頃は、今とは大分違った考え方をしていました。幸せになれるかもわからない。苦しいことばかりかもしれない。それなのに生きねばならない、ということに、理不尽さを強く感じていました。中学校、高校、その両方でいじめにあい続けていたのも多少影響していたと思うのですが……。クズとしか思えない自分を抱えたまま、この優しくもない世界を生きていかねばならないことに、絶望を感じていました。
一時は、以下のようなことをいつも考えていたと思います。
「誰も生んでくれなんて頼んでいない」
「自殺はダメだとか、分かったような口で言うな。『ただ生きるだけ』だなんて、どうせ世間は許してくれないじゃないか。生きる上での義務を強制してくるくせに、『でも死なないでほしい』というのは、あまりにも理不尽じゃないか」
一時は自分や社会に対する憎しみから自暴自棄な思想がかなり強まり、反社会的なことも色々と考えていました。「普通の人は他人を〇そうとか本気で考えないらしい」ということに気づいた時は、「誰かに危害を加える前に自死を選ぶべきではないか」ということも考えていました。本書は人の善性を信じていることが伺える記述がいくつか出てきますが、以前の僕だったら、その部分については「きれいごとだ」と受け入れられなかったように思います。

僕が少しずつ変わることができたのは、
「理不尽に思えるけど、生きていかねばならないのだ」
「生まれてしまった以上は、生きるための責任を負っていかねばならないのだ」
そう諦めてからだという気がします。こうして諦めがつくまでが本当に大変でした。この時期は誰に何を言われようがなかなか響きにくかったですね……。個人的には、諦めるためには、とことん時間をかけて自分自身で考え続ける時期が必要なんだろうと思っています。

僕の場合、創作が自分を支えてくれていたなと思います。死にたいという思いがある一方で、「この世界は生きるに値する場所だ」と思いたい自分もいて、そうした思いを高めるために物語を作っていたと思います。そのおかげで、一番苦しかった時期を生き延びられたのかなと思います。また、結婚して子供が生まれたことも大きかったと思います。結婚することが決まった時には、「自分でそう選択したからには、彼らに対して責任を負わなくてはならない」と思いましたし、「もう自殺できなくなってしまったな」としみじみと感じました。
今でも、生きることは理不尽だと思っているし、他人に開示したらとても受け入れてもらえないであろう残忍な自分は今も存在しているのを感じます。ただ、前よりは折り合いがつけられるようになりました。そして、「どうせ生きるしかないのなら、より良いと思える人生を生きたい」と思えるようになったと感じています。
本書が今まさに自分の心に響いたのは、「より良い人生を送りたい」と思える状態になっているからこそだと思います。

以上です。最後の部分は完全に自分の備忘録になってしまい、失礼致しました。
自分の心の深いところに届く内容で、色々なことを考えさせてくれる本でした。また時間をあけて再読もしてみようと思います。

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