ニーチェ著の「ツァラトゥストラはこう言った」を読了しました。
先日、ニーチェ著の「ツァラトゥストラはこう言った」を読了致しました。さくさくと読める本ではなく、上巻(第1部、第2部)に約1か月、下巻(第3部、第4部)に約1か月と、計2か月もこの本と格闘していました。内容が難しいため、他筆者による2冊の解説本、およびキリスト教の新約聖書も参考にしながら読みましたが、正直どこまでその内容を理解できたかは自信がありません。ただ、それまで正しいと言われてきた思想を破壊し、新たな生き方を提案しようとするニーチェの態度には、考えさせられるところが多々ありました。
そこで今回は、「ツァラトゥストラはこう言った」とその解説本を読んで自分が抱いた感想を書いてみたいと思います。書きたいことは多々あるので、以下の順番で語っていこうと思います。
・「ツァラトゥストラはこう言った」を読もうとしたきっかけ
・「ツァラトゥストラはこう言った」で示された思想への感想
・「ツァラトゥストラはこう言った」本編への感想
・飲茶さん著の解説本「最強!のニーチェ入門」の感想
・西研さん著の解説本「ツァラトゥストラ」の感想
【「ツァラトゥストラはこう言った」を読もうとしたきっかけ】
大学生の頃、僕は「名作と言われる本を沢山読んでみたい」と思い、特に、ノーベル文学賞をとった小説家の本をあれこれ読んでいました。その時に出会ったのがトーマス・マンの「魔の山」です。この小説はなかなか難解なところがあって、2008年の僕は読むのにかなり苦戦していました。ただ、主人公のハンス・カストルプの成長、および彼の人生への姿勢には強く惹きつけられ、本書は僕にとって今でも大切な一冊になっています(過去に書いた感想はこちらです)。
さて、そんな「魔の山」ですが、新潮文庫版の裏表紙には以下のような説明文が書いてあります。
とにかく世界の名作を読もうと思っていた僕にとって、「二十世紀文学屈指の名作である」という言葉はとても魅力的にうつりました(笑) そうして僕は、同じ年2008年にゲーテの「ファウスト」を読了しています。当時の僕が書いたブログを読んでみると、「魔の山」と同様で、難解ながら惹きつけられるものがあったようです。短絡的な思考をきっかけとした読書だったと思うのですが、当時の熱量は我ながら大したものだと思います(笑)
さて、そんな当時の僕でも、買うだけ買ってずっと読めずにいた本があります。それが、今回とりあげる「ツァラトゥストラ」だったのです。自分のブログで確認したところ、新潮文庫から出ている「ツァラトゥストラはかく語りき」は2008年にすでに購入していたようです。ただ、僕はこれを積んでしまっていました。というのも、この新潮文庫版の「ツァラトゥストラはかく語りき」には古めかしい文章表現が多々使われているんですよね。数ページ読むだけでも「何が語られているか全然分からない」と感じてしまうほどで、当時の僕の熱量をもってしても読み進めるのは困難でした。こうして僕は「ツァラトゥストラ」を読むのをずっと諦めていたのです。ただ、「いつか『ツァラトゥストラ』をちゃんと読んでみたい」という思いは心の片隅にありました。
転機が訪れたのは、実存主義という思想との出会いでした。僕は以前から「人間の生きる意味は何だろうか」、「人生は苦しいことも多いのに、どうして生きていかねばならないのだろうか」という問いをずっと持っているのですが、そんな僕にとって、この実存主義の考え方は納得できるところも多々ある思想です。そんな実存主義ですが、その態度を持つ哲学者のひとりに、「ツァラトゥストラはかく語りき」の著者であるニーチェがいます。それを知った僕は「今度こそツァラトゥストラを読了したい」と思ったのでした。
ただ、そうして改めて新潮文庫版の「ツァラトゥストラはかく語りき」を開いてみても、「これはやっぱり読了できそうにない」と感じました。16年経った今でも、古めかしい文章表現は僕にとって強敵だったのです。そこで、今回の僕はアプローチを変えることにしました。ひとつは、ニーチェの思想を分かりやすく説明してある解説書を2冊買うことにしました。僕が選んだのは、飲茶さん著の「最強!のニーチェ入門」と、西研さん著の「ツァラトゥストラ」でした。また、「岩波文庫版は読みやすかった」という意見があると聞いたので、この岩波文庫版の「ツァラトゥストラはこう言った」を買うことにしました。評判通り、この岩波文庫版は新潮文庫版にくらべると比較的読み進めやすかったです。こうして僕は、16年の空白を経てついに「ツァラトゥストラ」を読了できたのでした。
【「ツァラトゥストラはこう言った」で示された思想への感想】
さてここからは、ニーチェが示した思想に対して自分がどんな感想を抱いたかを正直に書いていきたいと思います。
先述の通り、僕は「生きる意味とはなんだろうか」という問いを持ち続けている人間です。ですから、人間がどのような姿勢で生きていけばいいのかを説いた本書は、大変興味深いものでした。
僕がもっとも深く考えさせられたのは、「絶対的な真理はない。だから、自分がどう生きるか、何を欲するかが大事なのだ」という彼の主張でした。このことはまさに自分が長年悩んでいることだったのです。
僕はもともとかなり保守的で、変化をあまり好まない人間です。また、争いはなるべくしたくないという思いもあって、自分の意見よりも周囲の意見を優先してしまうところも少なからずあります。少し前から、「受動的な姿勢ではダメだ。主体的に生きねば」とようやく考えられるようになり、少しずつ自分の主張をするように心がけています。が、「自分なんかの考えよりもより正しい答えがどこかにあるのではないか」、「自分が正しいなんて主張してもいいのか」という不安はずっとあります。要は、自分自身の意志を肯定することが苦手で、今も練習中という状況なんですよね。そんな僕にとって、ニーチェの「自分の欲するものを大事にしろ」、「悦びを求め悦びに向かって生きろ」という徹底的な姿勢は、実践するのが簡単ではないものです。「彼の態度をそのまま生活に適応すれば、周囲との摩擦も増えて大変そうだな」なんて考えてしまいますし(笑) 戦いをあまり好まない自分の気質に合っていないと感じます。ただ、今の自分の態度とニーチェの態度の間のどこかに、自分が目指す立ち位置があるのだと感じています。ですから、もう少し自分の考えを大切にしようと心がけて日々を過ごす、という今の態度は自分にとって良いものだと改めて思えました。
また、「自分が正しいと思うことは、『これが正しいと思う』と主張してよいのだ」ということも感じました。言葉にするとそりゃそうでしょ、ってことなんですけど……(笑) 僕は、自分の考えを正しいと言うことにとても抵抗があって、こんな当たり前のことも生活においてできていないように感じています。
「自分は『和』を尊重したい人間ではあるが、今よりももう少し、自分の意志を大切にする生き方をしていこう」。
そんな風に思えたことが、「ツァラトゥストラはこう言った」を読んで得られたものの中で一番大きいように感じています。
他にも、ツァラトゥストラが語る内容に共感できるところも多々ありました。
「創造的に生きていくべきである」という彼の熱い主張は、特に心に響きました。新たなものを生み出していこうとする姿勢は、既存の価値観とぶつかることもあり、大変なところもあると思います。しかし、より良いものを生み出そうとする姿勢が、仕事においても創作活動においても自分を成長させてくれるものだとも感じています。なお、「ツァラトゥストラはこう言った」には超人がどういう人間であるかと具体的には書かれていませんが、西研さんの解説本にある通りで、「高揚感と創造性の化身となったような人間」のことだろうと思いました(西研P63)。創造性の重要さと、自らを高めていくべきだと語るニーチェの言葉には、「やはりそれでいいんだ」と背中を押してもらった気がしました。
なお、既存の価値観を破壊しようとする態度については、納得できるところもあるのですが、なかなか強烈な表現でひやひやしました。例えばキリスト教に対して「奴隷道徳」と断ずる様子は「そこまでいわんでも……」という気もしました(当時はキリスト教の教えが正しいとされていたからこそ強烈な表現を使ったのでしょうが)。
永遠回帰の中で前向きに生きていく方法として、生を肯定する意志を持つことが重要だと語られていますが、このことも納得できました。自分の人生の全てを肯定するというのは、難しいことだと思います。ただ、つらかったこと、悲しかったこと、すべて含めて自分の人生を肯定することができれば、この世界の中で喜びを感じながら生きていけるだろうと思います。僕自身、今の自分が人生を肯定できているかと言えばそこまで自信はないのですが、この部分は今後も心にとめておいて、いつか自分の人生をもっと肯定できると良いなと思いました。
ちなみに、ニーチェの思想に対して自分がどう感じるかを書いてきましたが、この本を人にも勧めたいかと言うとそうではありません。ニーチェの言葉は強烈で、効く人には効くけど、受け取る人次第では毒になる劇薬のようなものだと感じました。分かりやすいところでいえば、クリスチャンの方であればきっとツァラトゥストラの主張に嫌悪感を覚えるだろうと思います。また、ニーチェの教えは社会的強者の方が受け入れやすく、なんらかのハンディを持ちながら生きている方にとっては受け入れるのが難しいもののようにも思います。僕としては、少なくとも自分から万人に勧めたい教えではないなと思っています。
最後に、僕個人がニーチェの主張についてどう思うかをまとめてみます。
僕としては、「参考になるところも多々あるが、ほどほどで、無理ない範囲で参考にしていきたい」と思っています。
僕は体調や気分にけっこう波があるので、「これは自分にとって正しい」と思えることをいつでも実践できるわけではありません。「我ながらアホだなぁ」と思う時間の使い方もしてしまっています。そんな僕の場合、あまりにもストイックな信念を持ちすぎると、自分を認められなくなってしまうだろうと思っています(「高い意識を持ち続けられたら良いな」と思っていた時期もありましたが、僕はそういう人間ではなさそうなので仕方がないと思っています)。自分の場合、「淡々とコツコツと」をモットーにやると良さそうなので、無理ない範囲で「主体的」、「創造的」という態度を大切にしていきたいと思いました。
また、自分の意志を大事にしたいと思いますが、一方で、気が弱い僕にとっては周囲を全く顧みないこともデメリットが大きいと感じています。「和」を考慮に入れつつも、今よりももう少し、自分の意志を大切にする生き方をしていきたいと思いました。
さて、中心的な思想についての感想は書いたので、ここからはそれぞれの本のより細かな部分に対する感想を書いてみます。
【「ツァラトゥストラはこう言った」本編への感想】
今回読んだ岩波文庫版は、新潮文庫版に比べるとかなり読みやすかったと思います。新潮文庫版は古めかしい表現が多く、そもそも書いてあるの意味がよく分かりませんでした。岩波文庫版はそうしたことはほとんどなかったです。とはいえ、岩波文庫版も内容を理解しようとするとかなり大変でした。「ツァラトゥストラ」では詩的な表現や比喩表現が多用されているため、ツァラトゥストラが何を言わんとしているかを理解するのがかなり大変でした。例えば、特に説明もなく彼は「大いなる正午」という言葉を使います。これは、強烈な日差しに照らされることで、世界からすべての影(すなわち価値観)が消失してしまった状況を指しています。しかし、本書にはそうした具体的な説明はないので、本書だけ読んでも意味が分からないんですよね。こんな感じで、「これは何かの比喩なんだろう」と思ってもその意味がよく分からないということが多々ありました。
そんな僕ですが、2冊の解説書には大いに助けられました。僕は先に解説書を読了したのですが、それが正解だったと思います。解説書によって知識を入れておくと、「ツァラトゥストラはこう言った」が何を言わんとしているかが少し分かりやすくなったと感じます。上記の「大いなる正午」も、飲茶さんの解説本でとても分かりやすく書かれていました。
ただ、解説書も「ツァラトゥストラはこう言った」のすべてを解説してくれるわけではなく、「超人」や「永遠回帰」といった重要な概念の説明が主なものとなっています。実際には、ニーチェ自身が書いた「この人を見よ」などの著書を読まねば分からないところもたくさんあるのだと思いました。ただ、今の僕にはちょっとそこまでのエネルギーがないので、今回はやめておきます。今後機会があればニーチェの他の本も読んでみようと思いました。
なお、本書はルター訳の「新約聖書」の文体に近く、いわば「聖書のパロディ」として書かれているようです。例えば、下巻のP96には「あなたの隣人をいたわるな!」という言葉が出てきますし。明らかにキリスト教に対して言っているのだろうという主張も沢山あります。そのおかげで、「聖書ってどんなものだろう」と興味が湧いて、少しだけ「新約聖書」、「旧約聖書」を読むこともできました。こんな感じで、知的欲求を高めることが出来たのも、「ツァラトゥストラはこう言った」を読んで良かったところです。
他、こまごまとした感想を雑記しておきます。
・第2部の終わり、「永遠回帰」という女主人が登場するシーンは迫力があって大変良かったです。彼女は、「熟れていないのは、あなた自身のほうです! だから、あなたはふたたびあなたの孤独に戻りなさい。あなたはさらに熟れなければならないのです」と告げ、それを聞いたツァラトゥストラは地に倒れてしまいます。この永遠回帰をツァラトゥストラは克服できるのだろうか。そんな不安を感じさせながら第3部へと入っていく流れは、物語としても良くできていると感じました。
・第4部は、他の章に比べてかなり読みやすかったです。他者との会話が多いので、物語としての面白さもあったおかげだと思います。
・第4部の「覚醒」、「驢馬祭り」は笑ってしまいました。自分がちゃんと比喩を理解できていないところもあると思いますが、「ましな人間」たちが跪いて驢馬を拝み、驢馬が「さよう、さよう」と何度も嘶くという絵が面白いと感じました。
・強烈な表現が多い本書ですが、「さすがにその言葉は受け入れがたい」というものもありました。例えば、第1部の「老いた女と若い女」という章。この章だけでも、「男性は戦いのために教育されなければならない。そして女性は戦士の休養のために教育されなければならない」、「女性は玩具でありなさい」、「女のところへ行くなら、鞭を忘れなさるな!」などコメントに困る言葉が沢山出てきます。時代背景の違いもあるのだと思いますが、今を生きる人々からするとドキッとする文章も少なからずあって、本当に人を選ぶ本だろうと感じます。
【飲茶さん著「最強!のニーチェ入門」の感想】
ニーチェのことを全然知らない僕にとっては、最も参考になった解説本です。ニーチェの教えを大変分かりやすく説明してくれる本で、ニーチェの本を読んだことのない初学者の方にもお勧めできると思います。例えば、本質哲学と実存哲学の違いの解説は、とても勉強になりました(本書では白哲学、黒哲学とたとえられていました)。また、「永遠回帰」の説明としては、「最悪のケースとして想定されるものであり、聖なる虚言である」という本書の説明がもっともしっくりきました。
なお、疑問だったのは、「永遠回帰を前向きに生きていく」のところで、マインドフルネス的な取り組みを行うことが書かれていたことです。あそこは筆者のオリジナルの主張ということで良かったのか、その点は分かりませんでした(ただ、「生を肯定していこう」と考える時の1つの方法として、マインドフルネスを取り入れるのは確かに良いかもしれないなと個人的には思っています)。
【西研さん著「ツァラトゥストラ」の感想】
以前、NHKの「100分de名著」という番組で「ツァラトゥストラ」が紹介されたのですが、そのテキストを一部加筆・修正したものになります。こちらもニーチェの主張を丁寧に解説していて、分かりやすかったです。ただ、こちらは良くも悪くも筆者である西研さんの主張が強めだったと感じます。
特に良かったと思ったのは、第2章「神の死から超人へ」、第3章「永遠回帰とは何か」の内容です。第2章に対する解説として、「では、人生のキャンパスに私はどんな色を塗るか? そう問いかける姿勢になったとき、はじめて人は人生の主役となり自由な存在となる。ニーチェはそう言いたいのでしょう」という文章は、「ツァラトゥストラはこう言った」への理解を特に深めてくれたと感じます。
また、ニーチェがキリスト教についてどう思っていたのかについてもとても勉強になりました。キリスト教と人間は、卵の殻と中身という図式が理解しやすいように思います。弱く小さい人間を守ってくれる安全なシェルターとしてキリスト教は機能してきた。その後、キリスト教のおかげで育ってきた誠実さをもって、人間はキリスト教という殻を破ってしまった。いまや人間は殻の外に出て創造的に生きていく必要がある。そういうイメージなのだと僕は理解しました。
そして、第3章の永遠回帰の克服の仕方についても大変分かりやすかったです。
「これでいいんだ、ではまだ不十分。これがいい、にしなければならない」という主張はニーチェの言葉の中で大変重要なものだと感じますが、本書を読まなければ分からなかっただろうと思います。さらに言うと、「祝福することができないならば呪うことを学ぶべきだ」(本編下巻P34)というニーチェの主張を解説してくれたのも大変良かったです。西研さんがおっしゃるとおり、どうしようもない理不尽が襲ってくればどうしても祝福をできないこともあるだろうと僕は思っていたのです。ですから、「本書にもそのことについて言及されていたのだな」と勉強になりました。
なお、本書はニーチェの主張に対する西研さんの意見も多々書かれています。ニーチェを変に持ち上げすぎないという意味では良かったと思いますが、一部は「ちょっと筆者の主張が強すぎかな」と感じるところもありました。
西研さんは特に「孤独」、「孤高」について一家言を持っている方ではないかなと思いました。それ故でしょうか、孤独については批判的な主張が多く述べられていました。
例えば第1章。ニーチェの生涯に対して「孤独な男の寂しい生涯でした」と評価されていますが、ここにも西研さんの価値観が色濃く出ていると思います。ニーチェが晩年に書いた自叙伝には、「どうして私は私の全生涯に感謝をせずにおれようか? そして、だからこそ私は私自身に私の生涯を、語り聞かせようとしているのである」という文章があるそうです。僕個人としては、ニーチェの人生には苦難が多かったと確かに感じるのですが、「寂しい生涯」と断言してしまうのは違和感がありました。
また、第4章には西研さん自身の主張が多々書かれています。ここでもやはり、「ニーチェには孤独病の気がありました」とニーチェの孤独に対するネガティブなとらえ方がされています。その後、筆者は「仲間と語り合い報告しあう営み(表現のゲーム)をすべき」だと熱く主張しています。ニーチェの本来の主張である「人生の主人公として自分で自分の人生を創造していく生き方」を現代で実践するための方法としてこの表現のゲームは語られているのですが、この主張の部分は好みが分かれると思いました。
まだまだ書きたいこともありますが、いよいよまとまりがなくなってしまいそうなので、このくらいにしておきます。「ツァラトゥストラはこう言った」とは2か月ほど格闘していたのもあって、ニーチェの思想は自分の信念に変化をもたらしたと感じています。今後は、新潮文庫版の「ツァラトゥストラはかく語りき」と読み比べても面白いかもしれないな、なんて思いますが、それはまた次の機会にしておきます。
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