(ネタバレ注意!)「Normalize Human Communication」をプレイしました。
僕がフリーゲームを取り上げてブログを書くのは久しぶりですね。巷で騒がれているようですし、いかにも自分が好きそうな物語でしたので、すぐにプレイしてしまいました。感動系の物語なんですが、確かに心打たれるところがありましたし、僕個人がとても驚いたところのある作品でした。作者さんのHP「むきりょくかん。」さんはこちら「http://mukiryokukan.sakura.ne.jp/」
以下、ネタバレ注意です。
これは久々に当たりだったな、と感じましたね。この方が以前書いたものには「ごがつのそら。」がありますが、今作の方がかなり印象深かったです。まあ、僕の好みにあっていると言うところもあるのですがw
この話の結末、つまりメインキャラクターである鈴乃という少女が死んでしまうことは、プレイしてすぐに気がつくでしょう。なぜなら、バナーに書かれている文章が「この子の遺影、撮ってます」ですから。また物語の冒頭で、鈴乃は死んでしまうことがはっきりと語られてしまいます。その後で、元気な彼女との交流が語られますが、そこには物悲しさが漂っていますね。
死をテーマとした話は結構ありますが、それでもこの作品が僕たちを惹きつけるのはどうしてか。それは、この作品にしかない個性があるからでしょうね。例えばキャラクターの描き方。うまく書き分けがされていて、どの登場人物にも心が感じられました。これは僕も見習う必要があると思いましたね。それから、主人公の心理描写も少し個性的だったと思います。かなり事細かに描かれているので、主人公へ感情移入がしやすいですね。僕としては、この心理描写が好きです。
気になった点も少しだけあげてみましょう。まずは会話文。リアリティがあったと思うのですが、何度も何度も「ねぇ、○○さん」と読まされるのは少しストレスです。呼びかけは現実世界では必要なことかもしれませんが、この物語の中でそれほど効果があったようには思いません。
それから、これは好みの問題でしょうが、店長の性格が気になりましたねw 辛い時でも笑顔でいることのできる性格で、かつ、暗くなりがちな作品に明るさを持ち込みたかったのかもしれませんが、娘に対してここまで下ネタを言う親父が本当にいるのか、という気になりました。まあ、小さなことなんでしょうけど。
さて、冒頭にも書きましたが、僕はこの作品に対してかなり驚きを感じたのです。実は、僕とこの作者さんの描き方がちょっとばかり似ているんですよね。特に、心理描写を語りすぎる所なんかは驚きでした。これに対しては、先を越されてしまったな、と思っただけでなく、似ている人もいるのだ、という自信にもなりました。余談ですが、僕らのような「書きすぎ症候群」の人間には「自分の心なんか誰にも分かってもらえないだろう」という思いがあるのかもしれませんね。九州壇氏自身は、それが分かっていながらもこの文体をやめられないのですがw
文体だけでなく、描かれる世界も少し似ています。死を題材にしているところはまだしも、星空を見て恐怖を覚える、という描写を読んだときは思考がフリーズしました。というのも、僕が今書いている作品で「俺は夜空を見ていると、吸い込まれるような漠然とした恐怖を感じるのだ」という描写を入れているからです。そういう描写を消そうにも、以前より絶対に書くと決めていた「ルーリン彗星」を登場させるためには消すわけにはいかないんですよね。僕が作品を発表した瞬間に「パクリだ!」と言われても文句は言えそうにありませんw そのくらい、作品の空気が似ていると思います。
ただ当然のことながら、僕が書く「瑠璃色の万年筆」と「Normalize Human Communication」は書いている人間が違いますし、書きたいものが違います。僕たちはどちらも「当たり前のこと」を描こうとして奮起しているわけですが、僕は違う方法で物語を書いていこうと思います。自分の作品の特徴を明確に意識できたのは今作品のおかげですね。作者である吉村麻之さんには感謝いたします。
今回は何だか色々なものを書いてしまいまして、ごちゃごちゃしていますね、すみませんw 割りと王道をいっているようなストーリーかもしれませんが、それでも心に何かを残してくれる作品だと思います。パソコンなら誰でもプレイできる作品ですので、是非プレイしてみてください。
以下、ネタバレ注意です。
これは久々に当たりだったな、と感じましたね。この方が以前書いたものには「ごがつのそら。」がありますが、今作の方がかなり印象深かったです。まあ、僕の好みにあっていると言うところもあるのですがw
この話の結末、つまりメインキャラクターである鈴乃という少女が死んでしまうことは、プレイしてすぐに気がつくでしょう。なぜなら、バナーに書かれている文章が「この子の遺影、撮ってます」ですから。また物語の冒頭で、鈴乃は死んでしまうことがはっきりと語られてしまいます。その後で、元気な彼女との交流が語られますが、そこには物悲しさが漂っていますね。
死をテーマとした話は結構ありますが、それでもこの作品が僕たちを惹きつけるのはどうしてか。それは、この作品にしかない個性があるからでしょうね。例えばキャラクターの描き方。うまく書き分けがされていて、どの登場人物にも心が感じられました。これは僕も見習う必要があると思いましたね。それから、主人公の心理描写も少し個性的だったと思います。かなり事細かに描かれているので、主人公へ感情移入がしやすいですね。僕としては、この心理描写が好きです。
気になった点も少しだけあげてみましょう。まずは会話文。リアリティがあったと思うのですが、何度も何度も「ねぇ、○○さん」と読まされるのは少しストレスです。呼びかけは現実世界では必要なことかもしれませんが、この物語の中でそれほど効果があったようには思いません。
それから、これは好みの問題でしょうが、店長の性格が気になりましたねw 辛い時でも笑顔でいることのできる性格で、かつ、暗くなりがちな作品に明るさを持ち込みたかったのかもしれませんが、娘に対してここまで下ネタを言う親父が本当にいるのか、という気になりました。まあ、小さなことなんでしょうけど。
さて、冒頭にも書きましたが、僕はこの作品に対してかなり驚きを感じたのです。実は、僕とこの作者さんの描き方がちょっとばかり似ているんですよね。特に、心理描写を語りすぎる所なんかは驚きでした。これに対しては、先を越されてしまったな、と思っただけでなく、似ている人もいるのだ、という自信にもなりました。余談ですが、僕らのような「書きすぎ症候群」の人間には「自分の心なんか誰にも分かってもらえないだろう」という思いがあるのかもしれませんね。九州壇氏自身は、それが分かっていながらもこの文体をやめられないのですがw
文体だけでなく、描かれる世界も少し似ています。死を題材にしているところはまだしも、星空を見て恐怖を覚える、という描写を読んだときは思考がフリーズしました。というのも、僕が今書いている作品で「俺は夜空を見ていると、吸い込まれるような漠然とした恐怖を感じるのだ」という描写を入れているからです。そういう描写を消そうにも、以前より絶対に書くと決めていた「ルーリン彗星」を登場させるためには消すわけにはいかないんですよね。僕が作品を発表した瞬間に「パクリだ!」と言われても文句は言えそうにありませんw そのくらい、作品の空気が似ていると思います。
ただ当然のことながら、僕が書く「瑠璃色の万年筆」と「Normalize Human Communication」は書いている人間が違いますし、書きたいものが違います。僕たちはどちらも「当たり前のこと」を描こうとして奮起しているわけですが、僕は違う方法で物語を書いていこうと思います。自分の作品の特徴を明確に意識できたのは今作品のおかげですね。作者である吉村麻之さんには感謝いたします。
今回は何だか色々なものを書いてしまいまして、ごちゃごちゃしていますね、すみませんw 割りと王道をいっているようなストーリーかもしれませんが、それでも心に何かを残してくれる作品だと思います。パソコンなら誰でもプレイできる作品ですので、是非プレイしてみてください。
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