今までで最も感動したサウンドノベル!

2008年2月17日現在。今まで読んだ中で最も面白かったと思うのは「ひとかた」というサウンドノベルです。読んだのはもう2年以上前になりますが、あのときの興奮はいまだに覚えていますし、今でも時々読み返します。なぜあれほどにまで惹き付けられたのか。当時はよく分かっていなかったと思いますが、今ならそれなりに分析できる気がしますので、今日のブログではそんなことを語ってみたいと思います。

まず、雰囲気が好きだった、という理由もあったと思います。どんな作品にも、作者さんごとの雰囲気があります。九州壇氏は「雰囲気」という名の見えない登場人物がいる、と考えるほどにそれを重視して読んでいますが、この「ひとかた」の場合は、その世界観、雰囲気がストライクゾーンでした。「田舎」という設定が好きですし、泥臭いほど熱い主人公も好き。更には昔話も好きです。「ひとかた」の世界が、九州壇氏の読みたい世界とぴったり重なった。これもひとつの要素です。
しかしながら、上の理由はかなり小さいものだと思います。最も大きな理由は、九州壇氏の「懐疑的主義」が、「ひとかた」の主人公、南護の心の揺れ動きへの感情移入を高めた、というところ。分かりやすく説明するために、ひとつの事例を出しましょう。似たような作品として「B.Bライダー」という作品を読んだことがあります。こちらも、「主人公の自己犠牲」という結末を迎える泣きゲーですが、これと「ひとかた」の評価は全く異なります。「ひとかた」にあって、他の作品にないものは何か。それが、丹念に描かれた南護の葛藤です。
「俺の代わりに、皆を助けてくれ。」確かに感動的なセリフですが、九州壇氏は迷いもせずにこの一言を吐くキャラクターは好きになれません。男らしいキャラクターですが、なんだか人間らしくない。一方の南護は、未練がましいくらいに自己犠牲をためらいますが、それが当たり前だろ、と思うわけです。人間は、美しくて強い感情をずっと持ち続けられない。合理的な行動ばかりを取れない。南護も、最後の最後まで「どうして俺だけがこんな運命なんだ。」と嘆き続ける。だからこそ、最後に周りから支えられて迎えるラストが感動的だと感じるのです。
フィクションでありながら、キャラクターがどこまでも「人間臭くて魅力的だった」からこそ、この作品に強く惹かれたのです。全てにおいて完成度が高いとは確かに言い切れないかもしれませんが、他の作品では見られない突出した個性がこの作品を№1足らしめている根拠です。

今日は自分以外の人が読んでもなんら面白くないブログになってしまいましたが、言葉に出来るうちにしておきたかったので、ここにのせたいと思いました。九州壇氏の原点を生み出したともいえる衝撃。なんだか、またプレイしてみたくなった九州壇氏でした。

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